有吉弘行の復活が凄すぎる!年収も桁違い
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今はテレビで見ないことが無い、お笑い芸人の有吉弘行さんですが、昔は不遇の時代上がりました。

昔の有吉さんを知っている人は、彼がこれほど復活するとは夢にも思わなかったことでしょう。

有吉さんが復活できた利用と、芸能遍歴を調べてみたいと思います。

電波少年でのブレイク

生年月日 1974年5月31日(45歳)
出身地 広島県安芸郡熊野町
血液型 A型身長 172cm

1992年、有吉弘行さんは、高校在学中にオール巨人に弟子入りしています。

しかし、弟子同紙との暴力沙汰で謹慎させられたことでそのまま弟子を辞めてしまいました。

 

弟子を辞めた有吉さんは、地元の同級生だった森脇和成さんとコンビを組み"猿岩石"というコンビ名で活動を始めます。

 

コンビの名を一躍有名にしたのが、『進め!電波少年』というテレビ番組です。

 

ヒッチハイクの企画でお金を使わずヒッチハイクだけで世界を横断する企画でした。

過酷な旅で、食べるにも、寝床にも困るような企画でした。

 

その困難を乗り切った猿岩石は、一躍人気者になり、CDなどを発売するほどの人気を得たのです。

 

秋元康プロデュースにより、藤井フミヤ、藤井尚之兄弟提供の「白い雲のように」がミリオンセラー

第39回日本レコード大賞の新人賞を受賞しました。

 

しかし、人気は長くは続きませんでした。

 

基本的に、テレビの企画で人気が出たので、漫才やコントも見たことが無く、旅のイメージだけが残ってしまいました。

 

一生懸命旅をする中、人に感謝するような場面が多く、優等生的なイメージが付いてしまいます。

 

今の、毒を吐く有吉さんのイメージには程遠かったです。

 

ネプチューンの原田泰造さんも、毒を吐くような芸人だったのに、『旅番組に出たら良い子ちゃんになって帰ってきた』と言っていました。

旅番組で根性キャラがつきすぎて、世間のイメージは偏っていたのでしょう。

元々は、今のようなキャラだったんですね...

地獄の時代

猿岩石ブームが去った後は、地獄のような生活が待っていたようです。

色々と手を出し、本気でミュージカル俳優を目指したこともあったそうです。

 

しかし、それも上手くいかずに仕事は無くなるばかりで、ブレイク時に稼いだ4000万ほどの貯金を切り崩して生活をしていたようです。

 

相方とも上手くいかずに、猿岩石は解散しました。

 

相方は、芸能界を辞めましたが(また復帰しました)、有吉さんはあきらめずに、上島龍平さんなどに食事の世話になりながら細々と生きていたようです。

 

当時は、一発屋のイメージしかなく、街で歩いていても

 

『一発屋が歩いてんじゃねーよ!』

 

的な扱いだったそうです。

 

また、そう言われたくないので帽子を深くかぶったとしても、うっかり認識された暁には

 

『一発屋のくせに、芸能人っぷりしてじゃね~よ!』

 

と言われたそうですw

 

どちらに転んでも地獄ですね...

 

でも本当に、今の人達では想像の付かないぐらいの一発屋でした。

 

例えるなら、スギちゃん、ゆってぃ、小梅がブレイクするイメージかな...w

 

有吉さんは、

 

まだ、お笑いで勝負していない!

 

と言う気持ちと、上島龍平さん、内村光良さんらが『お前は面白いよ』と言ってくれたのが励みになり、芸人をあきらめずに頑張っていたのです。

 

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内Pでちょい露出

ピン芸人でふんばる有吉さんは、内村プロデュースにちょくちょく出るようになり、復活するきっかけを得るようになります。

 

いままでの優等生キャラではなく、上島龍平さんのダチョウ倶楽部と一緒に裸芸をするようになったり、有吉の自宅訪問などをするような
企画をやりました。

 

"ふかわりょう"さんが、有吉さんの部屋のポスターを破いたりして、有吉さんが殴るような感じは、いまの有吉さんに近くなった感じでした。

 

同期の二人だからできることだったかもしれません。

おしゃべりクソ野郎

 

発端は、アメトークのゲスト出演でした。

 

一発屋にならない教訓などを話している時に、固定的なイメージを待たれないことが大切だという持論から、
ひな壇芸人に、世間のイメージはこうだとアドリブで付けた時、品川庄司の品川祐さんに

 

『おしゃべりクソ野郎』

 

と命名した時に、有吉さんの人生が変わりました。

 

この一連が爆笑を取り、

 

有吉=あだな

 

のイメージがついて、いろいろな番組に出演することで、色々な芸能人のあだ名を付けさせられました。

 

ベッキー

「元気の押し売り」「よく見りゃブス」

柳原可奈子

「人造人間19号」

 

日村

「ポールマッカートニー」

 

マナカナ

「目くそ鼻くそ」

 

はるな愛

「コスプレおじさん」

misono

「エロみっともない」「うその限界」

 

千原ジュニア

「へりくつガイコツ」

島田紳助

「すごく怖いしゃもじ」

中山秀征

「バブルの生き残り」

和田アキ子

「リズムアンド暴力」

 

ここからは、転がるように人気者になっていきました。

しかしある時から、あだ名の命名はしないと言い始めました。

 

人気も一定になってきたころ、固定的なイメージを持たれるのが嫌だったのでしょう。

 

功を奏したのか、飽きられることもなく、露出が増えていく一方で、お茶の間の人気者になっていきました。

 

いまでは、冠番組を何本も持っている人気芸能人になっています。

 

収入も何億もらっているでしょう。

 

こんなに返り咲いた芸能人は、有吉さん以外にいないのではないでしょうか?

 

一度落ちぶれた有吉さんは、仕事を断ることはせず、遅刻することもなく、いつも30分前には現場についているようです。

 

きっと不遇の時代を乗り越えたからこそ大切なものが見えているのだと思います。

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