
凄いとしか言いようがないでしょう!
小田和正さんが70歳になるようです。
あの歌声が70歳と思うととんでもない化物なのではないかと思う...(もちろんいい意味でw)
長いミュージシャン生活でいまだに第一線!ライブチケットだって毎回争奪戦です。
そんな小田和正さんを調べてみました。
小田和正
1947年9月20日生まれ 神奈川県横浜市出身
薬局屋の次男坊として生まれる
実家が薬局屋なんですね。小田さんが学歴優秀なのが納得です。
聖光学院中学校・高等学校卒業
東北大学工学部建築学科卒業
早稲田大学大学院理工学研究科修了
本当は千葉大学医学部を受験しようと思ったようですが、大学見学でカーテンや消毒臭の汚さに嫌気がさし東北大に進んだようです。
ここが一つの分岐ですね。医者になってた小田和正さんの歌声は世に出ていませんから。
しかし高学歴だな~
高校の頃からバンドを組んでおり、大学でも続けてましたがアマチュアバンドに線を引くため『ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』に応募します。
優勝をはなむけとしてけじめをつけようと猛練習を重ねますが、結果が2位になったことでこのままでは辞めれないとプロの世界に飛び込みます。
この2位になったことが分岐ですね。
優勝した"赤い鳥"ありがとう!因みに"赤い鳥"は財津和夫さんがいたグループです。
オフコース
アマチュア時代"ジ・オフ・コース"として活動していましたが、1972年より"オフコース"と改名し数度のメンバーチェンジを経て数年間、売れない時代がありましたが小田さんの澄んだハイトーンボイスとストレートな楽曲がヒットし『さよなら』『Yes-No』『君が、嘘を、ついた』などがあります。
今でもカラオケで歌われている曲ですね。
ソロ活動
1986年にソロ活動を始め、89年の"オフコース"解散からソロ活動が本格的に始動します。
1991年に発表された『ラブストーリーは突然に』はドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌とし起用もされミリオンセラーの大ヒットとなり"オフコース"時代では達成でなかった『オリコンシングルチャート第1位』『シングルミリオンセラー』という快挙を成し遂げました。
小田さんの代表作の一つですね。
これで小田和正さんの名前は"オフコース"を超え、数々のドラマの主題歌、CMのイメージソングに使われるようになり現在に至ります。
第一生命や明治安田生命のCMといったら小田和正さんのイメージしかないですよね。
優しい声で奏でる歌は琴線にふれます。
クリスマスの約束
『クリスマスの約束』という音楽番組はクリスマス前後にTBSで放送される恒例番組で2001年から続いています。
きっかけはTBSでやっていた音楽番組『うたばん』の出演依頼を辞退したことが始まりで、TBS側が諦められず小田さんの番組を制作したいという思いから始まりました。
テレビにめったに出ない小田さんなので『クリスマスの約束』は1年で楽しみの一つになっていますね。
番組のコンセプトは『アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬すること』
なんかいいですね...
ここで初年度に小田さん本人から出演依頼をの手紙を差し出した7名のアーティストに山下達郎さんがいました。
小田さんと山下さんは犬猿の仲と言われていて、二人の確執の原因は小田さんが山下さんの演奏中にスタジオに入ってきて、集中している山下さんが小田さんを追い返したことから確執が生まれたらしです。
そして山下達郎さんの『クリスマス・イブ』を演奏する前に山下さんから届いた手紙を読みました。
前略 小田和正様
ご丁寧な直筆のお手紙をいただき、ありがとうございました。
小田さんをはじめ、TBSのスタッフの皆様方の番組に対するご趣旨は十二分に理解いたしておりますが、いかんせん、私はこれまでテレビの番組というものに一度も出演したことがありません。
二十年程前にCMに一度、レコード大賞の授賞式に二度程出ましたのが、私のテレビ出演のすべてであります。
もともとはご縁がなかった上に、キャリアが加わって、今では、テレビメディアとの関係は、完全に音楽的な部分のみとなっており、こうなりましては、今さらどうにもなりません。小田さんをはじめ、諸先輩が今なお堂々たる現役としてご活躍されているということは、私のような者にとりましては大きな励みであり、目標でもあります。
従いまして、小田さんのおっしゃる「アーティスト同士が認め合う」という発想にも十二分、共感できますし、できますなら何かお手伝いさせていただければとも思うのですが、こういうときにはいつも申し訳なく感じております。もともとこの曲は、オフコースに触発されて作ったものです。
青山のアパートの一階がオフコース・カンパニーで、二階に私の所属事務所があった時代でした。
あの頃は私も30歳になったばかりのとんがった盛りでした。
バンドで挫折した私にとって、オフコースはとても重要なライバルで、敵(失礼!)がバンドのコーラスなら、こっちは一人でとか、そういったしようもないことを若気の至りでいろいろと考えたものでした。長い時を経て、小田さんにこの曲を歌っていただける時代になったとは、本当に感慨無量です。
今後とも一層のご活躍を陰ながらお祈り申し上げております。
まずは取り急ぎお詫びならびにご挨拶申し上げます。
草々2001年10月20日 山下達郎
この手紙が小田のもとに届いた直後、「こういう手紙はもうとっても、主役に近いものだと思う。
時を超えて、達郎がこの歌を歌ってくれるのは感無量だった、っていう。なんか、憎しみ合ってる、みたいなとこあったからね。だからこの手紙は、番組に出てくれたのと同じくらいの価値がある」
とコメントしています。
鳥肌立つような話ですw
小田和正さんは男性ながら女性さながらのフラットで澄んだ高音を出せるのが特徴です。
これは本当に凄い事です!そして70歳になっても歌声が変わらないのはもっと凄いです!!
声は年齢とともに衰えていくものですからね。